溺れ書 −堀内大助 (手品師など) のおぼえがき

最新情報!! ライブその他の出演情報の告知です!
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DAISUKE HORIUCHI MAGIC LIVE "Magic Mirror" Etudes op.18
11月30日(月) 19:30〜 (開場:19:00)
詳細はこちら(告知の記事にリンクします)
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インターネットテレビ『世田谷WEBテレビ』 堀内大助の『MC Night』
毎月第4週の木曜日 19:30〜20:00 に生放送!!
次回放送は、11月26日(木)19:30〜20:00!
ゲストは、作家の相沢沙呼さん!
詳細はこちら(番組にリンクします)
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第19回鮎川哲也賞受賞作『午前零時のサンドリヨン』(相沢沙呼 著)

 推理小説の新人文学賞である鮎川哲也賞(東京創元社主催)の、本年の受賞作『午前零時のサンドリヨン』(相沢沙呼 著)を読み終える(※以下、ネタバレはなしですが、未読でお気に障る方は読了後に)。

 作中の謎を解明していくヒロインの女子高生が凄腕マジシャンで、なおかつマジックに関する描写が盛り沢山で、そもそも作者である相沢沙呼さんは大のマジック・マニアであるらしい、、、という噂が奇術愛好家の間で飛び交っていて、ヒジョーに気になっていた本だった。
 相沢さんのブログを拝見すると、「ゆうきともさんのレクチャー映像を観て練習した」なんて話も書かれていて、ゆうきともさんに『相沢さんて、ゆうきさんのファンみたいですよ』なんてメール送ったりもして(ゆうきさんからは、『いや会ってみなきゃ(ファンかどうか)分からない』なんて返信もらって)、、、いたら。

 先日、フォーサイト主催のモダクラ劇場7で、作者の相沢沙呼さんと遭遇。なんの縁か、本を読み始める前に、噂の作者御本人にお会いする機会に恵まれた(ホント、マジック界って狭い!)。

ムダに幕末古写真ジェネレーター
《打ち上げにて相沢沙呼(写真左)さんと。ムダに、幕末古写真ジェネレーターかけてます》

 相沢さんはとても好印象な気さくな方で、またちょっとマジックを演じて頂いたのだがそれもとても御上手で。作品に対する期待度が、ますます高まっていた自分だった。


 で、先ほど読了。
 良い意味で裏切られた、、というか、期待を遥かに超えて、、、いや正直ショックだった。

 全部で四部構成になっているのだが、第一部を読み終えその面白さに感慨に耽り、第二部ではそのドラマチックな展開に心躍らせ感動し、第三部の衝撃的な幕切れに揺さぶられ、第四部の全ての謎と伏線が畳み込まれて、もうここまで読んでいて愛おしくてしょうがない登場人物たちの大団円に、この本と出逢えた幸せが止らない。

 勿論、自分は“マジック”に偏狂的に“思い入れ”がある人間であって、「だからこそ面白いと感じる」部分は否めないのだが、だが、その“思い入れ”を排除しても、小説としてミステリーとして、青春ドラマとして、読者の心に突き刺さるストーリーに満ち溢れていると感じる。


 しかし、いやだからこそ、マジックに“思い入れ”がある人間として、さらに以下。
 
 自分は以前、劇作家唐十郎さんの演劇をやっていたが、唐さんの戯曲世界には特徴的なドラマツルギーがいくつかあった。
 例えば、まず最初にとても“思い込み”の強い登場人物が現れる。
 そして、芝居の話が進む途中、その“思い込み”が強烈に否定され、登場人物は絶望に陥る。
 しかしラストには、その“思い込み”が現実を超え、虚構を超え、とんでもない世界が渦を巻いて出現して、幕が落ちた野外テント劇場外の日常現実を、劇的浪漫と共に切り裂きながらエンディングを迎える。
 その圧倒的なカタルシスが、もうホントにたまらなく痺れてしまう。 

 実はこの劇的構造は、“マジック”という芸能にとても近いと自分は感じている。
 “マジック”という芸能は、まず“嘘”(現実)を肯定するところから始まる。タネがあって、仕掛けがあって、『本当は魔法なんてない』ことを、まずマジシャン“自身”が受け入れる。
 しかし、だがしかし!、、、から産まれるイリュージョン、その浪漫が、マジックという芸能の醍醐味なのだ。

 『午前零時のサンドリヨン』(まさにナイスなタイトル!)に対し、マジックに“思い入れ”がある人間として、そしてマジックという“表現”を志す人間として、マジックという芸能の持つそんな“本質”を、マジックに対する深い造詣と愛情を持って、奇術愛好家ではない一般世間にも汎用的に通じるかたちで、さらにそれを青春ドラマ、人間ドラマの構造に昇華させ表現し切った、その手腕と結果にただただ圧巻である。

 自分があと10年後には表現したい作りたいと切望していたテーマ(内容)を、同世代である相沢さんが(自分とは畑が違う“小説”というジャンルではあるが)圧倒的な完成度をして描き切ったことに、奇術家の端くれとして無上の喜びと、そして一抹の悔しさを覚えてしまった。

 そして、最後に一言付け加えるとするならば。

 自分がマジックに惹かれ、そして今、マジシャンを志していることは、『間違いじゃなかった』と、そう確認することが出来た。そんな作品だった。

 相沢さん、素晴らしい作品をありがとうございました。
 次回作も期待しておりますので!


 そんな日々です。

  1. 2009/11/08(日) 01:52:19|
  2. 奇術 きじゅつ

発砲スチロールの急須(月例ライブを続ける理由)

 昨日の月例ライブも無事に終了。今回は、新型インフルの影響か、風邪でキャンセルという御客様が何名かいらっしゃった。皆さん、体調管理には気をつけて。

 さらに今回は、同世代のマジシャン仲間が沢山来て、ライブを盛り上げてくれた。他の御客様が帰られた後には、そんな彼らから直接色々と、今回の感想や意見をいただくことが出来て。一応毎回、映像で記録を残して、演技中は気づかなかったマズい点を探したりするのだが、なかなかそれでも見落としは多々あるもの。大変に嬉しくあり難い限りでした。


 毎回よく自分でも思うのだが、ホント、月例ソロライブなんて“よくやってる”と思う。いや決して、“良く頑張ってる!”なんてことではなく―


 俺程度の稚拙なレベルにかかわらず!


 ってことだ。
 ただそんなとき、いつも思い出すのは“発泡スチロールの急須”だ。


 以前、劇団に入って役者として演劇をやっていたとき、美術セット、小道具などは全て自分たちの手作りだった。それは勿論、プロに外注する予算がなかったから、という理由も大きいが、仮にそのお金があったとしても、外注せず役者が自分たちでひとつひとつ作っていただろうと思う。
 
 芝居の中には、“その脚本の世界でしか存在しないもの”もある訳で、当然そういったものは一から作らざるを得ない。ただそれ以外に、日常に溢れる用品などは、それこそ100円ショップで買ってきて、芝居の小道具として使えるものもある。
 にも関らず、ある芝居で先輩の役者さんが、“急須”を発砲スチロールで作っていた。こう言っちゃなんだが、芝居の中で大した小道具ではなくて、使うのは一瞬。 つい、『なんでわざわざ作ってるんですか? 買ってくりゃいいじゃないですか』、と聞いてしまった。
 しかし―


 『バカやろう、これも“作品”じゃねえか!』

 芝居の小道具で、硝子や陶器などの“割れモノ”は基本的にご法度なので、勿論その理由も大きい。また“書割”の家のセットに、“本当”の急須はそぐわなかっただろうというのもある。
 だがしかし、自分たちが観客に提供するのは、“自分たちの作品”であるという、“心意気”と“プライド”が、創作や表現には一番大事なことなんだと、そのとき教えられた。

 そして同時に、誰かの心を響かせるのは、決して技術やテクニックそのものではなくて、「いいものを作りたい」「観客をアッと言わせたい」という“情熱”それこそであると気づかされた。

 自分たちが作った美術セットを、劇団が外注したプロが作ったセットだと思う観客もたまにいた(それぐらい、いいものを作っていた)。しかしプロはそんなセットは作らない、いや作れなかっただろうと思う。ひとつには、時間とか費用とかっていうコストパフォーマンスなんか完全に無視しているからだ。

 特別にセンスや技術がある人間が作っている訳ではない。誰にでも作れる。
 しかし、いやだからこそ、そのひとつひとつに並々ならぬ思い、“情熱”を注ぎ込んでいる訳で、そんなセットについた“手垢”こそが、観客の心に深く訴えるんだと、“感動”を生むんだと。


 勿論、センスを磨き、技術を向上させることは必要である。特にマジックの場合は、観客を欺くテクニックの“質”が、パフォーマンスの“結果”に反映する割合として大きいので、マジックに対する“情熱”をテクニックとして“還元”出来なければならない(“還元”してこその“情熱”である)。

 しかし、そんな“テクニック”などなくても、“誰かにいいモノを届けたい”という思いの強さそのもので、観客を感動させることは出来るし、いや出来なくてはイケナイと思うし、もっといえばそれこそが!観客の心を響かせるものであると思う。


 俺よりマジックのレベルが高くても、俺より面白いライブをやるのはそんなに簡単じゃない


 ハズだ。駆け出しの今だからこそ、何かと拙い今だからこそ、毎回それぐらいの“プライド”もってライブをやっている。
 仮に十年後、今より自分の手品師としてのレベルが格段にアップしていたとしても、今の方が面白いライブであるように、“十年後の自分”に喧嘩売りながら“情熱”込めてライブをやっている。

 勿論、“テクニック”も”情熱”も行き着く先を超えていけば、本当に凄いものが出来上がるだろうと思っている。
 立川談志師匠の落語を、“落語が巧い”から聴きに行く談志ファンはいないだろうし、同時にそんなファンは、『誰よりも談志師匠は巧い!』と思っているのである。


 とりあえず、今は今で面白いハズなので、そうなるように毎回頑張っておりますので、今後ともご贔屓に宜しく御願い致します。


 そんな日々です。


  1. 2009/10/29(木) 17:25:49|
  2. 奇術 きじゅつ

まだまだウマくなるよ

 久しぶりに、前記事に続いて連続更新。

 ちなみに、7thシングルの『ヒラヒラヒラク秘密ノ扉』に収録されている『意気地アリ』も好き。そう書くと、福岡晃子さん作詞曲が好きみたいだが、その辺は意識してない。あっ、でも、5thシングル『世界が終わる夜に』とかも好きです。はい、ええ、チャットモンチー好きです。


 
 先日の土曜日は、毎月通うワークショップ『ともの会EX』の発表会。

 月例のソロライブを行って、自分の勉強会を続けているとはいえ、なかなかひとつひとつの手順と向き合い、細部を練って、様々なパターンを比較して、何度も演じて試して、そして洗練させてということが出来るわけではない。

 以前に一太郎さんにアドバイス頂いたのだが、マジック(パフォーマンス)には―


 1.覚えた
 2.出来るようになった
 3.人前で披露できるようになった



 という三段階があるという。

 安易に“成る程"と言えばそれまでだが、この“段階”を自分自身で認識することがとても難しい。自分としては『出来るようになった』と思っていても、ただそれは『覚えた』だけの段階であったり、これで『人前で披露できるレベルになったな』と判断したつもりでも、それは『手順がこなせる』だけであったり。

 庄司タカヒトさんによく言って頂くのは―


 『まだまだウマくなるよ』


 というお言葉で、これは別に俺自身に才能が素質があるとかいう話ではない。“あるレベルに到達してないからこそ、更にその次の上のレベルがあることを認識できてない”というアドバイスである。

 実際、今回の発表会の演目に入れたコインの手順などは、今年1月に初めてワークショップにかけた際には、『まあ三ヶ月後には完成できるかな』と甘く構えていたら決してそうはいかず、恐らく上記の“3”の段階に手が届くまで半年以上かかってしまった。
 結局それは、自分が得意としてなかったコインマジックには特にだったと思うのだが、自分の“基準”を持ってなかったからで、まずその“基準”を作るのに時間がかかった。その“基準”とは、つまりは、『自分はここまで上手に演じることが出来るんだ』というあるレベルの段階であって、その段階に気づけないからこそ、『もうこのマジックは出来るようになった』と途中で放り投げてしまうし、その上の段階を目指さない。

 ゆうきともさんや庄司タカヒトさんに、毎回新たな課題や指摘を受けることで、少しずつその“基準”や“段階”を意識できるようになってくる。そして“次の段階”に対して意識ができるようになってきたからこそ、『自分はもっと上手に出来るんじゃないか』と更に頑張れる訳で、その行為というのは大変に刺激的で勉強になる。

 そして、そういった“基準”がひとつできあがれば、それはそのまま他の手順にも応用できる訳であって、自分自身のパフォーマンスの力そのものをアップさせていくことができるようになっていると思う。

 また、なかなか、普段自分自身が練習している手順やそれに関連したマジックにしかアタマを働かせられないが、色んな方がそれぞれのマジックを毎月演じて洗練されているのと場を一緒にすると、他の方を通して、その“基準”を計り、その手順を図っていくことが出来るようになって、それもとても勉強になる。それもこれも、ゆうきともさんの超膨大な引き出しの多さもあって為せるワークショップであるが。

 来月からまた、自分の現在のベストのさらに上を目指して、そしてそれを信じて、頑張っていこうと思う。

 そして、その辺の成果も、月例ソロライブの方でご披露できているかと思うので、またそちらもどうぞ宜しく御願い致します。特に明後日は、まだ席に余裕がございますので、ご都合宜しい方、ぜひぜひ。


 そんな日々です。

 ちなみに、まったくどーでもいい話ですが、マイベスト作詞家は阿木燿子さんです。宇崎・阿木コンビは山口百恵は勿論、意外や「仮面ライダーBLACK」 主題歌まで、マジで好きです。


 
  1. 2009/10/26(月) 04:47:55|
  2. 奇術 きじゅつ

もっと挑戦的に!


 己の“理想”はなにか?


 最近、よく考える。それは俺個人の“人生”の理想であり、言い換えれば“手品師”としての理想であろうか。手品を商売として食べて生きたいのか、食べて生ければそれで幸せなのか。ただいまだ拙悪にも芸能芸術に関わり、その志を高く持ちたいを切望している以上、“世間”に対して、(己が高めた結果としての)“奇術”という芸能を訴えていきたいという気持ちは強く、強く持っている。
 そう考えたとき―


  ライブ!


 というのが自然とアタマに浮かんでくるのであって、己が掲げた“理想”、それに対して己の力量と気力を持って最大限に接近し、観客(という“世間”)にその現在の結果の如何を提示したいと思っている(堀内大助という自分は)。

 初めて中野にある小劇場を借りて、自分の単独ライブを行ったのは三年近くも前になるが、いまだに、ボナ植木さんやゆうきともさんからも―


 『なんだかんだ、堀内君で一番面白かったのはアレだよね』


 と言われる。今の技量力量は、それなりに三年の時が経た程度の進歩は現在にあるだろうと自負しているが、だがしかし、自分自身が判断してみても、あの最初の公演以上のものを今現在に至るまで提示できていないのは事実であり現実だ。

 日々の月例ライブは、あくまで“勉強会”として、日常に添いながら己の成果を進行形的に披露する場であり、最初の単独ライブの時とはスタンスが全く違う。


 『明後日なんか要らない』


 次回公演のことなんて考えない。あくまでその時、その一瞬が全てであって、その為に己の全てを出し切り尽くす。
 それは自分が劇団で芝居をやってる時もそうだった。生活を捨て、未来を捨て、ただ目の前の戯曲、芝居、公演のためだけに全てを燃やし尽くす。
 だからこそ、だからこそ作れたものがあった。己以上の己に出会えた瞬間があった。

 それは“アマチュアリズム”というものかもしれない。ただそれはとても脆くて儚い。儚いからこそ魅力的なのかもしれない。
 しかし、自分の好きな映画にしろ落語にしろ、勿論“奇術”にしろ、生活を人生を巻き込んだ“プロフェッショナリズム“が非常に力強く思える瞬間がある。

 今、自分はプロの手品師ではない。そして“プロではない”という以上にアマチュアではない。

 『己の“理想”はなにか?』なんて、本当は分かっている。むしろ、その“理想”だらけであって、やりたいことつくりたいものはいくらでもある。そして、技量や力量は及ばなくても、その“環境”、それは十分にある。“環境”のせいでも、ましてや“他人”のせいでもない。単に、己の“惰性”のせいで、己が及ばないだけである。

 ならば。

 ならば、己の稚拙なぞを誤魔化さず、むしろそれを凌駕するような“情熱”を通して、己の“理想”を、現在の力量に押し勝って提示すべきである。

 と、思う最近である。
 手品を演じてこそ手品師であり、作品を提示してこそ芸術家だ。と、ちったあ言葉を前に出さないと、ちっとも動かない己の惰性に対する叱咤としてのこの記事である。


 そんな日々です。

  1. 2009/10/22(木) 04:20:40|
  2. 奇術 きじゅつ

【観劇】「ボナ・ペティ!★ライブ Vol.6」

 自分が生まれて初めて観た“芸”というのは、幼稚園の園長先生が見せてくれた腹話術だった。毎年、クリスマス会やお楽しみ会などのイベントになると、可愛らしい少年の人形を膝に抱え、僕ら園児全員の前で演じてくれる。『また観たい、また観たい』といつも切望していた気持ちも含め、自分の中で、今も思い出せる数少ない幼稚園時代の思い出のひとつだ。
 そしていま思い出しても、子ども心にそれが“腹話術”というもので、園長先生が口を動かさずに人形の声も喋っているのは理解していたし、でもそれでも、いやそれだからこそ、人形が喋っているようにしか見えない“魔法”が、とてつもなく神秘的だった。


 そして、“腹話術”に関するもうひとつの思い出、そして衝撃が、世代世間に洩れずあのいっこく堂さんであって、腹話術というものに対する“常識”みたいなものを完膚なきまで打崩されて、体と声、身体ひとつで、これだけエンターテイメントなイリュージョンを生み出せるんだという感動があった。

 で、昨日は、ナポレオンズのボナ植木さんプロデュースの「ボナ・ペティ!★ライブ Vol 6」に足を運ぶ。Vol 2には自分も出演させて頂いて、観客としても毎回足を運んでいるが、いっこく堂さんがスペシャルゲストの今回は、まさにスペシャルな夜だった。
 いや、あらためて―


 いっこく堂さん、マジでスゲえ!


 いっこく堂さんのパフォーマンスを生で拝見するのは初めてだったと思うが、いや、この“腹話術”というパフォーマンスは、ライブがまさに命だと思った。


 だって、目の前で人形が喋ってるんだぜ!(マジで)


 いやまあどうしても“唇”に目がいってしまうけれども、いやホント(どうアタマでは理解しているつもりでも)、全く口は微動だにしていないし、それ以上に、実際はお一人で喋っている以上“声”は切り替わっているのだが、目線や体の向き動き、つまり“身体”が切り替わっていないので、本当にいっこく堂さんと人形が別々のニンゲンとして立ち現れてくる。
 というか、本当にあまりに凄すぎて、『誰か別な人が、人形の声を吹き替えているんじゃないか』という錯覚に陥ったりするぐらいで、しかもそんな観客を見透かしたように、いっこく堂さんと人形の声が入れ替わったりして、もうそうなると「いっこく堂さんが人形を喋らせているのか」、むしろ「人形がいっこく堂さんを喋らせているのか」、ホントに訳が分からなくなるくらいの混沌とした更なるイリュージョンの世界へとかどわかされる。

 アタマでは分かっていても、というか、アタマでは分かっているからこそ、目前の現実との圧倒的な相違というイリュージョンは、こんなにも刺激的であったのかと。
 それは『タネがあるって知ってるのに、どうしてこんなに不思議に見える!?』という奇術の十八番(おはこ)だったと思うのだが、そんなジャンル分けなど関係なしに、昨日は興奮のひと時を過ごすことができた。

 また後から知ったのだが、元々は俳優を目指されていたいっこく堂さんが本格的に腹話術師を目指されたのは29歳のとき。とてもお若く見えるのであれだが、現在は46歳の大ベテラン。長い熟成期間と、それを費やす執念と努力の賜物として、あのスーパーパフォーマンスがあるのだなあと感銘を受けた。


 また昨日は、若手マジシャンとして登場されたのは、日向大祐さん、五十嵐笑子さん、赤坂忍者の有福さん。それぞれ素晴らしいパフォーマンスで、会場は喝采だった。特に日向大祐さんは、英国マジック大会クロースアップコンテストで第1位を獲得したり、FISM世界大会にも挑戦された、百戦錬磨のコンテスト手順で、細部に亘って洗練され尽くした強烈な魔法だった。

 レギュラー出演の一人語り・三咲順子さん、ひとりコント・モロ師岡さんも相変わらずの素敵なパフォーマンスだった。三咲順子さんの今回は、まさに「ひとり語り」(朗読)でしか表現できないマジックな展開でとても面白く、モロ師岡さんは、一つ一つの台詞や動きを畳み掛けるような勢いで観客は爆笑の渦。三咲さんも師岡さんも、とても魅力的な御二人だし、まさに“芸は人なり”だなあと感じ入った次第。

 あらためて―

 こういうショーを観たいし、創っていきたい!


 と、力強く感じた。観客を幸せにして、元気を与えてこそ、エンターテイメントであるのだと。


 ちなみに、今夜フジテレビで19時から『カスペ! 志村けんのバカ殿様 秋!笑いの祭典SP!』 に、ナポレオンズの御二人が出演なさるそうです。録画予約しなきゃ。


 そんな日々です。


  1. 2009/10/06(火) 12:08:44|
  2. 奇術 きじゅつ
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プロフィール

堀内大助

Author:堀内大助
1984年生。手品師。好きな食べ物は餅。

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