どんなジャンルの誰でもそうだと思うが。
『奇術(自分のジャンル)ほど最高に面白いものはない!』と思う一方で、
『世の中には他にも魅力的で面白いものがあふれているのに、なぜ自分はコレ(自分のジャンル)なのだろう』と。
ま、それは人それぞれ、いろんな要因があるだろう。
僕がここ数年、ほぼ毎日と言っていいほど閲覧しているサイトがある。
WEBアニメスタイルアニメファンやマニア、特に作画関係のファンにとっては欠かせないサイトだ。
ということは俺はアニメファンである。
なぜアニメーションに惹かれるかというと、結局は「技術論」だからである。
当たり前だが人が絵を描いてそれを撮影して映像になる訳で、限られた予算時間人手の中で、『誰がどのように描いていくか』という「工程」そのものが作品の物語やテーマに密接に絡んでくるのであり、押井守監督はそれを「レイアウト」といい庵野秀明カントクは「記号論」と表現しているけども、『作り手側が思い描いたこと』を「どう伝えるか」がその伝える内容よりも“重要”であるわけで、というよりも「どう伝えるか」こそがつまりその「技術論」こそがその“伝える内容”つまり「意思」である。
その面白さだ。
逆に自分が「野外テント芝居」をやっていたのはその反動みたいなもので、“演劇”という「ライブ」に上乗せして「野外テント」という“不確定要素”の袋詰めをどうバラ撒いてどう勝負するかを“魅せつける”という“生の戦い”と“運命”が、芝居の一番の面白さだった(勿論、役者としての技術論という前提もあるけど)。
ま、ただ、その話は置いといて。
基本的に「なんとなく」で体感するものよりも、「技術論」で迫るものの方が面白いはずである。
だからこそ、絵画もクラシックも、オペラやバレエも歌舞伎も、ある“前提”知識や歴史つまりは「技術」を知る(学ぶ)のであって、事前知識なしに突然に歌舞伎座行っても役者が何言ってるか解らずに“つまんない”か“なんとなく面白かった”で終わるのであって、でも逆に“様式”や裏背景であり約束事を知ると、その“魅力”や“奥深さ”から逃れられなくなる“ハマる”のである。
自分にとっては“アニメ”がそうだし“古典落語”もそう。
やっぱり立川談志師匠の“高座”、「芝浜」「粗忽長屋」をCDで聴いたりとか、「らくだ」をマクラ無しでぶっ通しで50分完演したのをライブで迫られたりとか(コレ自慢ね)、もそうだけど、やっぱり「現代落語論」と「あなたも落語家になれる」を“読んで”ハマったっていう部分も大きい。
芸能芸術っていうのは「どう伝えるか」こそが「意思」であり、その「技術論」の“裏側”を、観客が能動的に迫れるようであればどんどんどんどん惹き込まれていくものだろう。
で、最初の「世の中には他にも面白いものがあるのに、なぜ自分は奇術を選んだのだろう」と。
奇術の特徴は、その「技術論」を観客と“共有”することを基本的には「否定」していることにある。
「種」や「トリック」は隠さなきゃいけないし、隠す中で“不思議さ、楽しさ”を魅せる。
とこうなると「ネタばらし論」に入り込めるんだけどなるべくそちらには傾かずに話を進めると、でも自分が奇術の何に一番面白さと魅力を感じているかというと、正直ハッキリに『技術論』だ。
庵野秀明カントクはアニメーション制作を『穴の開いた船をいかに沈めずに到着させるか』と言っているけど、「作りたい作品や映像」があっても“予算がない”“人手がない(理想の絵を描けるアニメーターがいない)”“時間がない”訳で、その「対処」が、つまり『あの部屋が水没するのは仕方ないけど、なんとしてもあの部屋だけは死守しなければいけない』と、それが「なんでか」がつまり「作品の“意思”」であり“面白さ”である。
奇術は「不可能」の芸能である。つまり“どこか”で「妥協」しているのである。
現実に可能であるかのように振舞っていても、“どこか”で「妥協」しているからこそ、「不可能」が「可能」であるかのように錯覚できるのである。
そしてその“どこか”を隠している、見せないわけであるが、その“どこか”が“どこ”にしているのかが手品師の“意思”であり、また技術としての“巧み”“センス”であり、それを知った(つまりタネを知った)時に「感動」があることは言うまでもない。
にもかかわらず。にもかかわらずそれは「隠さなければいけない」ことが、奇術の「矛盾」であり、もっといえば、実はもっといえばその「矛盾」こそが、奇術という芸能がありとあらゆる芸能芸術の中で“最高にエキサイティングな”要因でもある。
だからこそ「安易なネタばらし」はつまらない、と一応そのことも言っておく。
しかしその一方でその「技術論」を観客と“共有”できない“もどかしさ”と“葛藤”もあり、だからこそ『世の中には他にも面白いものがあるのに、なぜ自分は奇術を選んだのだろう』と思う瞬間もあるのであって、その“葛藤”を回避したいからこそ、「タネやトリックの話なんてつまらない」と切り捨てるマジシャンも多い。
いやその『技術論』の話、面白いよ。本当に面白い。
でも、でも奇術の面白さは、それを“共有させない”観客とそれを“共有できる”観客を“同時”に楽しませなければいけないことであると思う。
分りやすく一言でいえば、「デヴィッド・カッパーフィールドのマジックは“誰が見たって”不思議だ」ってこと。
ま、勿論本当は奇術に関してだけではないのであるが。
日本中で“宮崎駿監督の映画『ルパン三世 カリオストロの城』が大好き”という殆どの人は、「
大塚康生」さんの名前を知らないのであるから(ホント実際そうだと思う、それだけ宮崎駿監督が怪物的にメジャーになったってことで)。
あ、ついでに書いちゃうと、だから『崖の上のポニョ』って映画はさ。
マジック業界的に言うと、デビッド・カッパーフィールドが『自分はさまざまな不思議で強烈なマジックを、本当に誰よりも多くの観客に魅せてきたんだから』って、いきなりプログレッシブ・エーセスとかを5000人のステージのスクリーンでやり始める感じ、、、じゃない?
自分の作った最新作は全国の子供たちに“見せざるを得ない”宮崎駿監督は本当に大変だと思う。
そんな日々です。
- 2009/01/08(木) 05:17:12|
- 奇術 きじゅつ
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